地域おこし協力隊OB・OGに聞くvol.2 「地域に溶け込むためには歩いてなんぼ」その心とは?
2024/04/05 ライター:小竹隼人
第2回協力隊OBOGインタビューにご登場いただいたのは、2014年に小菅村に移住した鈴木せりかさん。
地域住民向けの「筋トレ教室」のサポーターから、消しゴムはんこやそれを道具としての作品製作、最近は「キャンドル作り教室」の開催にも挑戦するなど幅広く活動しています。
「若い時の苦労は買ってでもせよ」とはよく言われますが、明るい人柄の中にも芯があるのは学生時代の努力の賜物でしょうか。
教員の道に進むのか、それとも小菅村地域おこし協力隊か・・・
迷った時に浮かんだのはお世話になった村民たちの顔だったようです。
実習で訪れた小菅村が”第2のふるさと”に
──沖縄のご出身ですよね。
小菅村とはどのような縁があったのですか?
鈴木せりかさん:高校卒業を機に、沖縄から上京し東京農業大学に進学しました。
当時は教師になりたいと考えていて、教職課程(技術科)を履修していました。
それと並行して、木材を物理的・科学的に研究する木材工学の研究室にも所属しました。
教職課程の研究室とを行き来しながら、昔から好きだったものづくりに打ち込む日々でした。
ある時、小菅村で実習を行う特別講義「源流大学」のポスターが偶然目に留まりました。
受講したい気持ちがあったのですが、必修の講義が重なって出席できなかったので、「単位はいらないので実習だけいかせてほしい」とお願いして、年3回のフィールドワークに参加させてもらうことになったんです。
「源流大学」とは 源流の郷には、森や自然と共存する様々な「知恵」や「技」があり、その地特有の源流文化を形成しています。 源流域で様々なことを実際に体験し学ぶことを目的として、2006年に東京農業大学と小菅村によって創設された事業。 現在は源流をトレッキングし自然の力や大切さを学ぶ「源流体験」をはじめ、様々なテーマの講座を展開。 小学校~大学の教育機関はもちろん、一般の方々が参加できるプログラムや企業研修も用意しています。
▼源流大学HP |
──小菅村での実習はどうでしたか?
森林再生のための間伐作業や、畑の開墾、竹かご編みなどを経験しました。
フィールドワークならではの実践的な学びがありましたし、村民の方々が優しく受け入れてくれて、地元にいるようなあたたかさを感じました。
実習に来る学生の価値観が似ていてすぐに仲良くなり、そんな仲間たちと小菅村での時間を共有できたことも大きかったですね。
実習プログラムは2年間でしたが、それだけでは飽き足らなかったので、小菅村内で様々な活動を行う学内の有志団体が主催するイベントに参加するようになりました。
大学の学部を卒業後は「研究生」という制度を利用して大学に2年間残りました。
論文の執筆や、自分探しの放浪の旅に出る傍ら、都合がつけば小菅村で開催されるイベントをお手伝いさせてもらいました。
もしかしたら、この頃から小菅村が第2のふるさとになっていたのかもしれません。
中学校教諭か協力隊員か
──協力隊員になった経緯を教えてください。
研究生2年目の時に中学校の教員になるか、それとも他の進路を選ぶか考えていました。
そんなタイミングで源流大学の事務局の方が、「地域おこし協力隊として小菅村に来て源流大学で一緒に働かないか?」と誘ってくれたんです。
協力隊の制度は初耳だったのですが、源流大学には小中学生から一般の方向けのイベントがあるのは知っていたので、幅広い年代の方と関われることが魅力的に思い、その話を受けることにしました。
また、それまでは東京から通っていた小菅村に実際に住むことにもワクワクしました。
──2014年4月に協力隊員になったのですよね。
任期中はどのような活動をされたのですか?
所属先の源流大学のスタッフとして、源流体験のガイドや、学生の実習の計画を立て、手配するといった業務を担いました。
日々の業務以外でも地域との関わりを持ちたいと考えていていたところ、協力隊の先輩の紹介で村内の福祉施設でも週1回働く機会をいただきました。
福祉施設では、お茶会や、健康維持のためのエクササイズの進行といったお手伝いをしました。
ある時、社会福祉施設の職員さんから「せりかちゃんは手先が器用だから、皆で楽しめるワークショップをやってよ」と誘われ、消しゴムはんこを捺してTシャツを作るワークショップを開催することになりました。
捺す範囲が広くて難しかったものの、想像以上に皆が喜んでくれたのが嬉しかったです。
転機が訪れたのは、協力隊の活動をはじめて1年が過ぎた頃でした。
源流大学の事務局を務めていた夫との間に妊娠が発覚したんです。
源流まつりのステージに立ってひと騒ぎした翌月のできごとでした(笑)
体を動かす仕事ができなくなったため、しばらくは事務の仕事を担いつつ、今後の模索として道の駅でワークショップなどのイベント開催も試みました。
残念ながら産後に復職できる制度がなかったため、協力隊は2015年12月付で辞めることになりました。
生活も仕事も「地域密着」
──退職や出産後の、生活やお仕事について教えてください。
第一子出産から約半年後、役場の保健師さんから、小菅村が健康寿命を伸ばすことを目的に行っていた「いきいき元気教室」という事業に誘っていただきました。
ベビーカーを傍らに置いて、お茶を飲みながらお話をしたり、消しゴムはんこを用いたうちわ作りのワークショップを開催したりしました。
翌年には第二子も産まれ、ますます子育て中心の生活になりましたが、社会とのつながりを感じたかったので働く時間もつくるようにしました。
村内の会社を手伝ったり、早朝短時間のアルバイトで村外に出たり、ママ友同士で子守り番を交換して仕事に出るなど、働き方もあれこれ試みました。
時には村内のおじいちゃん、おばあちゃんに子守りをしてもらうなど、小菅村ならではの助け合いの文化にも支えられました。
今も「筋トレ教室」のサポーターとして関わりを続けさせていただいています。
村内の事業に参加することで、小菅村に通い始めた頃からお世話になっている方々に恩返しというか、日常の中のひと笑いをつくれたらと思って続けています。
ライフワークはものづくり
──フリーのクリエイターとしても活動していますよね。
収入としてはまだ多くないですが、小さい頃から好きなものづくりを続けています。
最近主に取り組んでいるのは消しゴムはんこの製作ですが、実は長く携わっているのは箸づくりです。
学生時代の卒業論文のテーマが「箸づくり用鉋(かんな)の開発」でした。
それがきっかけで、ゼミの教授から任されたプログラムや、源流大学の実習でも箸づくりの講師を務めるようになったんです。
昨年から「NIPPONIA 小菅 源流の村」で滞在型結婚式のサービスがはじまりました。
その中にはいくつか体験プログラムがあり、小菅村の木材を使った箸づくりが組み込まれています。
新郎新婦の記念になるような箸づくりのお手伝いをさせてもらえたら嬉しいなと思っています。
▶「NIPPONIA 小菅 源流の村」2泊3日の滞在型エシカルウエディング
https://wedding.nipponia-kosuge.jp/
──他にはどのような作品を製作しているのですか?
消しゴムはんこの製作や、そのはんこで手ぬぐいをデザインする「はんこ手ぬぐい」の製作に力を入れています。
県外でも商品を置いてくれるお店が出てきていて、今後も徐々に広げていけるように頑張っています。
自分が楽しみつつ、喜んでくれる人がいるのが嬉しいです。
ものづくりの楽しさをより多くの人にシェアしたいと思い、大好きな作家さんを外部講師として招いて「キャンドル作り教室」も開催しました。
参加してくれた村の方が後日、「他のものづくりイベントも開催して欲しい」と言ってくれて、次回は何をやろうかなと考えています。
割と楽しかった!?苦学生時代
──せりかさんは多くの人と関わりながら仕事や楽しみを見つけている印象がありますが、何か原点があるのでしょうか?
言われてみれば、人と関わることは好きかもしれません。
人と接する際は「相手の方がどういう話題が好きだろう」と無意識に考えているような気がします。
いつからこんなに人と関わるようになったのだろうかと振り返ると、学生時代に「新聞奨学生」として働いていたことは原点の一つになっていると思います。
大学進学のタイミングで上京したのですが、親との約束で大学の学費や生活費は全て自分で賄っていました。
それで、奨学金を借りる他に、「新聞奨学生」という制度を利用したのです。
毎日深夜2時に起床して原付きバイクで新聞配達を行い、朝7時前に帰宅し、それから学校に通う生活を送りました。
購読料の集金がある日は、学校が終わってから午後6~8時まで担当するエリアをまわりました。
集金はすんなりといかないことが多く、居留守を使う方もいれば、一方的に怒られることもありました。
そのようなときは、こちらの事情を伝えるために手紙を残すようにしていました。
同情を誘ったのか分かりませんが、奨学生3年目には毎月の集金率がほぼ100%でした(笑)
また、大変ながらも思い出深い出来事がたくさんありました。
私が担当していたのが、下町感がある人情に厚い方が多い地域だったこともあってか、手紙で励ましてくれる方や自転車をくれる方、「沖縄から出てきて東京は寒かろう」と冬にはお風呂を貸してくれる方までいて、心身ともにすごく支えられました。
決して楽な生活ではありませんでしたが、振り返れば、しんどかったことよりも、優しくしてもらったことが多く思い出されます。
小菅村の仕事でも生活でも「人とのつながりが一番大切」だと感じているのはこの時の経験があったからかなと思います。
地域は歩いてなんぼ
──最後に、協力隊員へのアドバイスがあれば教えてください。
協力隊に限ったことではありませんが、小菅村に移住するなら「歩いてなんぼ」だと思っています。
小菅村を地元とする方々の繋がりはたしかに深いですが、自分から動くことで移住者でも関係を築くことはできます。
まずはやっぱり挨拶から。
天気や畑、獣出没の話題は皆の関心事です。
いつから水道が凍り始めるか、どんな暖房器具を用意したらいいのかといった生活のことを聞いてみるのもいいと思います。
そして関係ができてきたら、干し柿の作り方を教えてもらったり、おすそ分けのお礼に何かを渡してみたり。
はじめこそ誰かに紹介してもらうことはありますが、それ以降はとにかく自分から。
人によって色々なやり方があるとは思いますが、私は「自分から動く」ことでつながりをつくってきました。
小菅村で暮らし始めて10年になります。
最近は60、70代のお友達とのプライベートでの交流が増えてきました。
お散歩やお茶、カラオケなど何かに一緒に取り組むことで、過ごしてきた時代や場所、価値観の違いを越えてお互いにいい刺激になっている気がします。
私が大好きな小菅村も、この10年間で約100人減少しています。
村の将来を考えた時に、過疎対策も必須ではありますが、それと同じくらい“こすげらしさ”も大切なことだと考えています。
世代や出身地の異なる人と人とが関わりあうことで、村の伝統や「よそ者を排除しない」寛容性が引き継がれていくのかなと感じています。
さいごに
鈴木せりかさんにお話を聞いて、
「自分で決めた道だから」
「自分が情熱を注げることだから」
やり抜くことができるんだと気づかされました。
やり抜いた先に見えるであろう景色にワクワクしながら、今日も走り回っている姿が目に浮かびます。
「大人って楽しいよ!っていう背中を子どもたちに見せたい」
目を輝かせながらの一言に、鈴木せりかさんの人柄が集約されている気がしました。
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小竹隼人
2023年春、自然を求めて東京から小菅村に移住。地域おこし協力隊員です。
農業と狩猟をやりたい!