源流人シリーズ第一弾 ~源流の第一人者、中村文明さんにきく~
2017/11/14 ライター:寺田寛
源流人(げんりゅうのひと)シリーズでは、毎回源流の里小菅村にかかわる様々な方を取り上げ、そのイキイキとした姿をインタビュー形式で特集していきます。
第一弾として取り上げる中村文明さんは、現在山梨県甲州市にお住まいがあり、長年多摩川の源流を自らの足で調査して1枚の絵図にまとめた「多摩川源流絵図」を描く活動を行うなど、まさに源流に深く関わってきた方です。
中村文明さんには、小菅村の多摩川源流研究所所長としてなど様々なご協力をいただいているなどまさに今日の「源流の里 小菅村」を語るに欠かせない方です。
長年源流に深く関わってきた中村文明さんに、これまでの活動や源流への思いを伺います。
源流を描く
中村文明さんが自ら足で歩いて作成した「多摩川源流絵図」は、本流だけでなく支流まで細かく描かれています。
また滝や淵などの名前も一つ一つ丁寧に載っており、なかなか普通の人が知ることのない源流の様子が鮮明に伝わってきます。
-「多摩川源流絵図」を描くまでの経緯は何だったんですか?
「昔は大阪にいたんだけれども、頑張りすぎて体を壊してね。
目が見えなくなっちゃって、それでこっち(山梨県甲州市)に来たわけ。
写真が大好きだったから、大菩薩に登ったり、隣の診療所の先生が一之瀬高橋(山梨県甲州市、多摩川の源流部に位置する)に行くときについていって花の写真を撮ったりしていた。
ある時一ノ瀬高橋で『源流サミット』というイベントがあり、甲州市の課長さんに『花の写真を源流サミットで飾ってくれ』といわれたわけ。
源流サミットなのに花の写真だけっていうのもさみしいから、源流の写真もお渡ししたいと思って初めて竜喰谷(りゅうばみだに)というところに入った。」
※竜喰谷:山梨県甲州市、多摩川の源流にある谷のこと。
「入ったときはね、何にもわかんなかったわけよ。
滝の名前も淵の名前もね。
たまたま会った長老の人に、『あの滝の名前はありますか』って聞くと「あるある」ってね。
それで話を聞いたらさ、たとえば『ゲタ小屋の滝』というのがあるんだけど、えらい生活感だよね。
ゲタだよゲタ。きいてもわからん。
なんで滝がゲタなのと思ってさ。
そしたら長老が『お前は下駄の材料が何で作られているか知ってるか』って言うのね。
上質のゲタは桐とヒノキで、庶民が履くゲタはシオジや杉の木。
ゲタ小屋のすぐそばにシオジ、サワグルミが群生していて、そのすぐそばの滝が、『ゲタ小屋の滝』ということだったんだね。
滝や淵の名前全部に、いわれ(由来)があったわけです。
もうびっくりしたね。」
―それが最初の源流絵図のきっかけだったわけですね。
「そう。何十回じゃなくて200回300回通ったかな。
なんせ春夏秋冬を撮らないと源流の姿が分からないじゃない。
また朝昼晩でもちがうんだ。
だから,まあ通った通った。
夕方は塾をやっていて、昼間はずっと源流を歩いて写真を撮って生活していた。」
-小菅村との出会いは何だったんですか?
「この絵図(多摩川源流絵図)を出した時に、小菅村にも届けたらあとで『小菅村版も作って欲しい』って言われて、それがきっかけだった。
それが2000年になってからかな。
で、村の人と一緒に、小菅の沢を全部歩いて教えてもらいながら調査していった。
小菅川は(源流のもっとも標高が高いところが)妙見の頭だから、そこまで登り詰めたね。」
—だいたい何年くらいかかったんですか?
「結構かかったね。
でも小菅村の場合は比較的入りやすいのよね。
厳しいのは五段の滝(小菅川源流部の滝)くらいだったから、2年か3年くらいで出来たのかな。
多摩川源流絵図のほうは6~7年かかったかな。
大変だったね。」
日本にただ一つ、多摩川源流研究所
―多摩川源流絵図を作った後、中村文明さんは小菅村と運命的な出会いがあり、多摩川源流研究所初代所長に就任されたわけですよね。
源流研究所って、どんなことをされているんですか?
「俺が一番関心があったのは、源流にどんな資源があるのか。
それを徹底的に調査研究すること。
それから子供達に本当のあるがままの源流を知ってもらうこと。
多摩川流域に300万とか400万とかたくさんの人が生活していて、たくさんの子どもたちが通っていながら、大概は源流までは行かず、途中の小河内ダムで帰ってしまうわけよ。
遠足で小河内ダムに来て、ふれあいセンターに来て、ダム見て、カレーライス食べて帰るわけだね。
ここの水が、蛇口をひねって出てくる水の大元ですよって勉強して帰るわけよ。
ちょっと待ってくださいよと。
この奥に山梨県の山々があって、明治34年から東京都が水源林を育てて、豊かな森が残っているんですよと。
せめてそれくらいでもね、源流の本当の姿を知ってほしい。
もうそれだけ。」
「中央大に通っていたときに、川崎にも下宿していたときがあって、東横線で(多摩川を)横切るときは、堰(せき)があってね、
堰からおちてくるところがものすごい泡があって、もうすごい匂いだったの。
もうあの多摩川の濁った川を見てね、
『こんなの川じゃない』と思って、すんごい多摩川に対しては怒りを持ってたね。
こんな川に誰がした!ってね。」
一流じゃない、超一流の源流体験
—小菅村の夏の風物詩といえば「源流体験教室」ですが、これも中村文明さんから生まれたんですよね?
「始まりは非常に単純で、他の源流部ではなかなか子供たちと一緒に入れる、優しい渓谷がないのよ。
ところが小菅は、まあ何か所かね、厳しいところがあるけれども、子供たちが何とか通過できるところがある。
そんな場所で、源流のあるがままの姿を子供たちに体験させたい。
川の源は流れている川をそのまま飲めるんだよと。
美味しい水を飲んでもらう。
口つけて飲んで、ここで生まれた水は、飲めるんだというね。
これはもうね、理屈なしにね、子供達は感動するのね。
流れている水が飲めるっつってね。
まあ腹壊しちゃ困るから流れている水よりも湧き水を選んでやるんだけれども。
全国源流サミットで見せた源流体験を見て国交省の人がとてもびっくりしてね。
『文明さん、源流体験は一流じゃない。一流の上に超がつく』っつってね。」
厳しい地理的条件を生き抜く力
—改めて、小菅の魅力は何だと思いますか?
「小菅は源流の村。
例えば沢にもいい沢がいっぱいあるとか、沢にはどこにも負けないいいわさびを育てようとか、人が源流を語れるように、小菅は自分の立地条件を愛する人がいっぱいいたわけだね。
やっぱり自然の厳しさの中で、生き抜く力っていうのは小菅すごいよね。
それはね、天から与えられた地理的条件をうまく生かしているんだね。
生かしてそれを乗り越えて来たんだよね。
あれはすごいなと思ったね。」
「そして源流研究所を作ったということ。
普通作ろうなんて思わないよね。
やっぱり第三次総合計画で村を輝かせるためにはどうすればいいかを考え抜いたからなんだろうね。
小菅村の人たちはエリート!?
川の源は水の源なんで、そういう源らしい、源で培われて来た文化、源流文化っていうのはすごいものがあると思うんだよね。
人間は生まれながらにしていろんな能力を持っているじゃないですか。
ほとんどの人は限られた仕事で終わるんだけど、小菅なんか見てるとね。
役所でもバリバリ仕事するし、帰ったらバリバリ畑仕事したり山仕事したりするわけでしょ。
娘に言わせるとなんだっけな。
面白い言い方してくれたんだよね。
そう小菅村の人は「エリート」だと。
エリート集団っていうから。まあびっくりでね。
つまり人間の持っている能力を全部はっきりしてるってわけだよね。
そういう意味で、畑仕事も、流域の人にちゃんと教えることができるし、山仕事もちゃんと教えることができるし。
普通鎌なんて研げないよね(笑)。
ほんとすごいよ。」
小菅村ならでは、源流の自然とくらし
単なる自然でもなく、単なる田舎暮らしでもない、源流の自然とくらし。
何百回も源流を歩いている中村文明さんだからこそ見える、小菅村の魅力と未来が垣間見えたような気がしました。
<多摩川源流研究所URL>
http://www.tamagawagenryu.net/index.html
<源流人シリーズはこちらから>
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寺田寛
小菅村の魅力を世界に発信すべく、様々なツアーを企画・運営しています。最近の悩みは自分が「雨男」になってきていること。晴れ男になる方法を知っている方はぜひ教えてください!