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小菅姓発祥の地。歴史を感じる「小菅城址」、天神山の史跡をめぐって。

2021/02/18 ライター:青栁やすは

 

 

天神山は小菅村の中心部に位置する、 標高差70mほどの山です。

小菅村保育所の裏山になるため、園児もよく頂上まで登って遊んでいます。

 

室町時代初期にこの天神山に城が築かれました。

代々城主を務めた小菅氏は武田氏の家臣として甲武の国境警備に当たったそうです。

現在、城はありませんが、この山には随所に当時の山城の痕跡が見られます。

 

四季折々の草花を目にすることができる天神山。

今回は紅葉の季節に歴史探訪をしてみましたので、その様子をお伝えします 。

 

 

天神山山頂・小菅城址へのルートをご紹介


小菅城址のある天神山の山頂までは5箇所の登山口があります。


 

 

① 箭弓神社から天神山登山口を目指します。

 

車を駐車したかったので、箭弓(やぎゅう)神社からスタートすることにしました。

 

 

箭弓神社の横には、車が5台ほど停められるスペースがあります。

 

 

神社横にはトイレもあります。(冬季は閉鎖。)

 

 

箭弓神社のすぐ脇には、箭弓神社・天神山の説明も書かれた看板があります。

 

 

箭弓神社も室町時代に、小菅城主の小菅遠江守(こすげとおとうみのかみ)藤原朝臣(ふじわらあそん)信景(のぶかげ)によって建てられたそうです。

 

 

箭弓神社の横を流れる宮川沿いは、紅葉真っ盛りでした。

 

 

② いざ、箭弓神社登山口から天神山の山頂をめざします。

 

 

箭弓神社の駐車スペースのすぐ近くにある、登山口から頂上を目指します。

 

 

なんだか草がわさわさしていそう?

(歩きにくいほどではありませんでした。)

 

 

森に入ってしまえば草もなく、歩道も整備されているので歩きやすいです。

 

 

植林されたスギやヒノキの森の足元には、黄色く色づく葉っぱが。

 

 

よく見てみたら、コアジサイの葉っぱが紅葉していました。

株がたくさんあったので、5~6月の花の時期は見ごたえがありそうです。

 

 

ハチの注意看板がありました。

秋だったのでハチの姿は見ませんでしたが、夏は箭弓神社からの登山口は注意が必要です。

 

 

整備されたなだらかな斜面の登山道を進みます。

 

 

ヒノキの実の他にも、松ぼっくり・スギの実・キノコなどが見られました。

 

 

看板が出てきました。(地図のA

小菅村保育所に通っている子どもたちが、

「ここ知ってる!ついて来て!」と小菅城址とは違う方向にずんずん進んでいきます。

 

 

すぐに看板が出てきました。

堀切の下に、ヘリポートと寺・墓地と書かれています。

このまま進むとヘリポートや墓地につながります。

 

 

天神山のこのあたり一角は、保育所の秘密基地になっていました。

木の実のご馳走をふるまってもらいました。

 

 

立派なカエデが紅葉していました。

黄色と緑色のコンストラストを眺めながら、小休止。

 

 

再び歩き始めると、「堀切(ほりきり)」と書かれた看板がありました。(地図のB

堀切の看板があるあたりが、人工的に尾根の部分がV字に掘られています。

 

堀切とは、城を敵からの攻撃に備えてつくられるお堀の一種だそうです。

お城の城壁の周りに水がはられた「水堀」も、お堀の一種です。

掘切は山頂の城に向かう尾根をざくっと掘ることで、敵が侵入しにくくなります。

 

 

③ いよいよ小菅城本丸を目指します。

 

堀切(地図のB)を道なりに進むと、破壊箇所(地図のC)にたどり着きます。

 

 

破壊箇所(はかいかしょ)には小菅城本丸の文字が出てきました!

 

 

現在地は破壊ヶ所(地図のC)。

本丸は目の前です 。

 

小菅城本丸の看板とともに、「破壊ヶ所(はかいかしょ)」、「帯状腰曲輪(たいじょうこしくるわ)」の看板があります。

 

 

曲輪(くるわ)とは「郭」や「廓」とも書き、城の本丸や二の丸などといった区画を指す言葉です。

土を削って平らにしたり、石垣で作られたりします。

腰曲輪は城より一段低い場所にある曲輪のことで、細長いものは帯曲輪と呼ばれます。

小菅城址は帯状腰曲輪沿いにぐるっと一周回ることができます。

 

 

ものすごく急坂となっている破壊ヶ所を進みます。

ここは敵が攻めてきた時に石や丸太で攻撃したといわれる場所だけあって、とてもせまい道になっています。

急斜面は、滑りやすいので注意が必要です。

 

 

破壊ヶ所を登りきり、山頂に到着です。(地図のD

箭弓神社から山頂までのんびり歩いて20分ほどでした。

 

小菅城址には現在、ほこら(小祠)が祀られています。

天神山は、城を築いた小菅遠江守信景が山頂に天神・地神・八幡を相殿としたほこらを祀ったことが、名前の由来となっています。


ほこらの近くには小菅城や天神山のいわれが書かれています。


(看板を一部抜粋。)

小菅城は、室町時代初期(武田信玄の三代前の時代)に小菅遠江守信景が天神山に築いた山城です。

この山城は非常時に立て籠もる砦(とりで)で、日常は麓に館を構えて生活をしていたそうで、信景の館は現在の小菅小学校の付近にありました。

 

信景以降、小菅氏は代々城主を務め、武田氏家臣として甲武の国境警備に当たっていました。

全国の小菅・古菅姓は、この小菅村川久保地区が発祥の地とも云われています。

 

※甲武とは、甲斐国(かいのくに:現在の山梨県)と武蔵国(むさしのくに:東京都・埼玉県・神奈川県の一部)のことを指します。

甲斐国と武蔵国の国境が、山梨県の小菅村や丹波山村と、東京都奥多摩町の間にありました。

 

 

山頂にはベンチもあるので、お茶をしました。

目の前の木がもうちょっと小さかったら、見晴らしが良かったんだろうなぁと思うロケーションです。


ムササビもここで食事をしたのかな?松ぼっくりのエビフライ(食痕)が落ちていました。


 

④ 天神山山頂から小菅村保育所へと下山します。

 

 

急な破壊ヶ所を、気をつけながらゆっくりと下ります。

 

 

破壊個所を過ぎても、やや急な坂道。

道幅は広くなり、歩きにくいほどではありません。

 

 

虎口(こぐち)の看板が出てきました。(地図のE

ここは城郭の出入り口だそうです。

箭弓神社方面から登るのは、裏口から入ったような感じでしょうか。


虎口のすぐ脇には、竹飾りの付いた竹が。ボロボロになっているので、少し怖い感じもします。


こちら は天神講(てんじんこう)の笹飾りです。

天神講とは、学問の神様である菅原道真公の命日である2月25日あたりに、学業成就や子どもたちの成長を願って、笹飾りを奉ります。

笹飾りは半年以上、雨風にさらされているのでボロボロになっていたのですね。

 

 

小菅村保育所へと向かう道はアカマツの明るい林になっています。

つづら折りのゆるやかな斜面を下っていきます。

 

 

子どもがさらさらの葉っぱがあるよと教えてくれました。

 

 

栗のイガや、松ぼっくりが足元に転がっていました。

 

 

足元の小さな木も紅葉していました。

 

 

しばらく歩くと、宝生寺の看板が。(地図のF

お寺方面にも抜けることができます。

 

 

そのまま下ると保育所の屋根が見えてきました。

 

 

さいごはフェンス沿いに下っていきます。

 

 

逆から見ると、小菅村保育所の駐車場脇が登山口になっています。

 

山頂からここまでで、のんびり歩いて20分ほどでした。

 

 

このこんもりした山が天神山。

小菅村保育所にも、天神山の看板が出ています。

 

 

⑤ 小菅村保育所から箭弓神社へと道路を進みます。

 

 

100mほど小菅警察官駐在所方面へと道路を歩きます。

 

 

駐在所のある交差点を曲がれば、

 

 

出発地点の箭弓神社は、すぐ目の前です。

保育所から箭弓神社までは道路を歩き、約5分ほどでした。

 

 

さいごに

 

箭弓神社→小菅城址→小菅村保育所→箭弓神社というコースで、のんびり写真を撮りながら45分ほどのコースでした。

実際には、山頂などでちょっと休憩をして1時間ほどかかりました。

 

天神山は登りに20分、下りに20分と、お手軽に登ることのできる山です。

3歳の子どもも破壊ヶ所の急斜面は苦労していましたが、それ以外はどんどん自分で歩いていました。

 

 

小菅城はお城と言っても山城というくくりになります。

大きなお城とはまた違った、山城の痕跡を見ながら歴史を感じる楽しいトレッキングでした。

 

新緑や夏の花の時期に行くのも、また違った景色が見られて楽しそうですね。

 

 

<天神山マップはこちら。>

 

 

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    青栁やすは

    愛知県から小菅村に嫁ぎ、3人の子育てをしています。保育所の体育講師をしながら、小菅村の伝統工芸の「きおび」を使って、作品作りをしています。村に来る前は、環境教育に携わる仕事をしていました。小菅村でのスローライフを研究中。Instagramはこちら

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