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歴史を感じる「小菅城址」とあわせて見たい。天神山付近の歴史スポット をご紹介。

2021/03/04 ライター:青栁やすは

 

 

天神山は小菅村の中心部に位置する、 標高差70mほどの山です。

室町時代初期にこの天神山に小菅城が築かれました。

城は現在ありませんが、この山には随所に当時の山城の痕跡が残っています。

 

天神山 についてはこちらの記事で紹介しています。

小菅姓発祥の地。歴史を感じる「小菅城址」、天神山の史跡をめぐって。

 

往復45分とサクッと登ることができ、 歴史を感じる小菅城址、天神山。

今回は小菅城址とあわせて見たい、天神山付近の歴史スポットをご紹介します。

 

 

ご紹介する、天神山付近にある歴史スポットがこちら。

 

 

A.御屋敷跡地

B.宝生寺

C.虫歯地蔵

D.城之沢

E.昔の石垣

 

5つのスポットを、順に詳しくご紹介します。

 

 

A. 御屋敷跡地(おやしきあとち)・小菅遠江守信景館跡地

 

小菅城は室町時代初期に、小菅遠江守(こすげとおとうみのかみ)藤原朝臣(ふじわらあそん)信景(のぶかげ)によって天神山に築かれました。

この山城は非常時に立て籠もる砦で、平時 は麓に館を構えて生活をしていたそうです。

 

 

信景の館は現在の小菅小学校の付近にありました。

小学校のフェンス沿いには、御屋敷跡地の看板が設置されています。

 

 

B.宝生寺(ほうしょうじ)

 

 

宝生寺は1370年(室町時代)に真言宗の寺として、現在の地に建立されました。

同じく天神山のふもとにある箭弓神社 が文明10年(1478年)の建立と記述されているので、それより古い歴史をもっています。

現在の宝生寺は火事のため、昭和20年(1945年)に新しく建て替えられました。

 

 

小菅村郷土小誌には、1478年に小菅城を築いた小菅遠江守信景によって 真言宗の寺として創立された宝生寺を臨済宗にしたとの記述があります。

また当時の宝生寺は2階建てで、仏画も多く、盛大であったそうです。


小菅村郷土小誌には、小菅遠江守信景の墓石が宝生寺にあるとの記述があります。


 

C.虫歯地蔵

 

宝生寺の駐車場近くには虫歯地蔵が佇んでいます。

200年以上前から、虫歯地蔵という名前で村人に呼ばれているそうです。

 

 

祈祷をすれば、虫歯を治してくれるというありがたいお地蔵様です。

 

 

D.城之沢(じょうのさわ)


宝生寺から、墓地やヘリポートへと続く坂道を登っていきます。


 

宝生寺と天神山の間に、城之沢(じょうのさわ) と呼ばれる沢が静かに流れています。

 

 

さらに道を進むと「小菅城址」の看板があります。

ここから天神山へと登ることもできます。

 

 

E.昔の石垣

 

天神山の登山口と、水タンクよりさらに進むと、ちょっと見落としそうな看板が出てきます。


「城裏」「墓地」と書かれた看板が道路の脇に立っています。

杉林の中の踏み跡をたどります。(左奥に見えるのが水タンクです。)


どこまで登るのかなと若干心配になり始める頃に、手積みの石垣が見えてきます。

 

 

昔の石垣は20mほどの長さでしょうか。


下の方が埋もれている感じですが、1.5mほどの高さの立派な石垣 です。


天神山周辺の空き地や、植林された場所は昔、畑だったという話も聞きます。

石垣の辺りは、昔はどんな場所だったのだろうか…と思いをめぐらせます。

 

このまま石垣のある林道を進むと、天神山の山頂からヘリポートへと続く道に繋がっています。

 

 

いかがでしたか?

 

今回紹介した場所は、小菅小学校からぐるっと写真を撮りながらのんびり歩いて25分ほどでした。

 

 

ちなみに史跡を紹介する看板の最後に、「雄飛(ゆうひ)」と書かれていたことに気づきましたか?

雄飛は、天神山や宝生寺のある川池地区のメンバーで作られた有志団体の名前だそう。

住民から大切にされている場所なんですね。

 

ぜひこちらのスポットも、天神山とあわせて足をのばしてみてください。

 

 


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    青栁やすは

    愛知県から小菅村に嫁ぎ、3人の子育てをしています。保育所の体育講師をしながら、小菅村の伝統工芸の「きおび」を使って、作品作りをしています。村に来る前は、環境教育に携わる仕事をしていました。小菅村でのスローライフを研究中。Instagramはこちら

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